自分探しの行き着く先
世界のミレニアル世代には共通点がある(参照:Deloitte Global Millennial Survey)と言われる。それは生きる意味・意義と精神性の豊かさの追求。そしてそこにお金を払うこと。
自分探しの旅や自己啓発本、あるいは占いなどが該当する。
私は自分探しには、行き着く答えがあると思っている。
一方、自分探しなんて、答えがないのだからやるだけ無駄だという意見をよく耳にする。
「自分はどこを探してもないから無駄だ。そもそも、自分なんて存在してないのだから。」
「自分探しはやめて、自分磨きをしよう。」とか。
「自分探しなんて意味がない。今を生きろ。」といった具合に。
自分探しの行き着く答えは、心理学で "Find and Express The Authentic Self"と表現される。
つまり、「他者や社会の価値観に惑わされていない、何者にも束縛されない本来の自分を発見し、自信を持ち、生きること」である。
この状態にある人はウェルビーイング(主観的な人生の充実度)が高いと言われる。
私は東南アジアやオーストラリア、フィンランドに住んでみて、幸せな人にはある共通点があることに気が付いた。それは「本来の自分の幸せを、自分の意思で生きている」ことだった。特に、世界一幸福な国フィンランドでは幼少期から、自由意志を獲得することに教育の主眼が置かれているように思えた(実際、私の娘も幼稚園に通った)。自分なりの幸せを感じる「余白」があることも印象的だった(こちらの記事にまとめた。)
ある人の幸せは、だれかを喜ばせることかもしれないし、ある人は家族とゆっくりとした時間を過ごすことかもしれない。外の木で鳥が嬉しそうに鳴いてるのを見ることかもしれない。あるいは、四季の移り変わりを感じることかもしれない。そこには正解がない。
ただ、自分なりの幸せには、人それぞれ違った正解がある。日常で言えば、何をしている時に楽しさ、喜びを感じるのか。逆に言えば、何をしている時が嫌なのかストレスなのか。高尚な言葉で表現すれば、何をしている時にPassionを感じるのか、起業家がよく言うあなたの志は何なのかという問いに対して、他者の価値観に洗脳されていない、自分の答えを持ち、自信を持ち生きる。これが自分探しの答えだと思っている。
では、なぜ、自分探しの答えにはなかなか至らないのか。
幼少期の教育。親の考え方。会社の新人教育など、自分が生きている社会文脈の中で機能しなくなった思想によって、ある種洗脳されていることが原因だと思う。あるいは虐待などの間違ったネガティブな体験。
これらが我々の無意識に入り込み、本来の自分を知る足かせとなっているからだ。脳のバグとも言える。トラウマ経験はその典型で、トラウマと似たような出来事が発生した時に、起こってもいないのに、同じ体験をビビッドに呼び起こす。人前で話した時に嘲笑された経験があるひとは、人前に立つだけで、冷や汗をかくことがあるだろう。
これは極端な例だが、何か出来事があった時の受け取り方(認知あるいは意味付けーmeaning making)や、将来の目標を決める際の思考は、過去の体験や埋め込まれた思想に影響される。
これらが最も厄介なところは、意識ではなく、無意識にプログラミングされているということ。
だから、自分探しの行き着く先は、他者から埋め込まれた価値観を一旦取り除き、自らの声に耳を傾け、自信を持つことなんだと思う。
Photo at Inari Airport, Lapland, Finland
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